ホリエモンが「この映画、めっちゃ泣けるよ!」と言っていた事を思い出し、昨日、見てきました。
今回は映画「ラーゲリより、愛を込めて」を観た感想を書いていきたいと思います。
なお、今回の記事ではネタバレ要素がかなり多いので、聞きたくないという人は、ここでブラウザバックをお願いします。
あらすじ
時代は1945年の終戦直前、当時は日本の領土だった満州に、妻と子ども4人の計6人で住んでいた山本が本作の主人公です。
日本に原爆が落とされた頃と時期を同じくして、満州は、日ソ中立条約を破ったソ連によって攻め込まれてしまいました。
そして、兵隊だった者たちは捕虜となり、ロシアの収容所(ラーゲリ)に収容されることとなりました。
心が折れる数々の瞬間
この映画を観ていて、私が感じたのは「絶望」です。
その描写の数々は、思想家フランクルがアウシュビッツ収容所での過酷な生活を描いた「夜と霧」が頭をよぎるほどでした。
極寒のロシアの地で、捕虜として生活することは非常に過酷で、それだけでも心が折れそうなのに、
- パン一枚とカップ1杯のスープで飢えを凌がなければいけなかったり
- 強制労働の末に亡くなっていく仲間を目の当たりにしたり
- 脱走を試みた仲間が射殺される姿を目撃したり
- そんな仲間を自分たちの手で埋葬したり
などなど、「どうせ生きていても希望なんかないさ…」と思わせる数々の出来事がありました。
そんな生活を続けて数年が経ったある日、ラーゲリから解放され、日本に帰れる事が決まりました。
この時の捕虜たちは、間違いなく心の底から喜んだかと思います。実際、帰りの列車に乗る捕虜はみんな、どことなく喜びに溢れていました。
しかしそんな中、日本に向かう列車が急に止まり、山本を含む数十名が再び別の収容所に収容されることになりました。
そして後日、スパイの濡れ衣を着せられ、ソ連からは、25年の懲役が言い渡されました。
この時の絶望はすごかったです。文字通り死ぬほど苦しい日々から解放されると思っていた中でどん底に叩き落とされる絶望感。
映画を見ていて心が重くなりましたし、どうやって希望を持てばいいか分かりませんでした。
そして、映画を観ながら、今の自分が懲役25年となった事を考えました。
人生のピークである30〜40代を失い、子どもたちは成人を迎えて、自分は60歳近くになっている。
脱走を試みる人がこのあたりから増えるのですが、命懸けで脱走する人の気持ちが痛いほどに伝わってきました。
手紙に込めた思い
映画を観ていて、手紙を書くことの意味を考えさせられました。
ラーゲリでの新たな生活も数年が過ぎたある日、捕虜たちには、手紙を書く事が許されました。
しかし、手紙のスペースはハガキ一枚分の大きさしかありません。
捕虜たちはみんな、そのスペースにびっしりと大切な人に向けた想いを綴っていました。
考えてしまうけど、絶望が襲われないために考えないようにしていた家族の事を思い、一心不乱に手紙を書いていました。
その手紙は日本で帰りを待つ家族にとって、どれほど嬉しかったことか。
そして、捕虜たちはその手紙の返信をどれほど待っていたことか。
たった一言「私たちは元気です」という言葉がどれほど嬉しかったことか。
現代ではLINEやメールで大量のメッセージをすぐに送り合えるため、気にも留めませんが、ひと昔前は今みたいに簡単に連絡なんて取れなかったんですよね。
ハガキたった一枚に、全身全霊で心を込めて手紙を書く。
手紙というものの意味や価値を改めて考えさせられました。
山本が遺した遺書
そして、最後の十数分は本当に感動しました。
ちょっと涙ぐむのではなく、30歳を過ぎて、ここまでボロボロ泣くとは思いませんでした。
…
最終的に山本はソ連の地で死ぬことになります。
彼の死が目前だと悟った仲間たちは、彼に遺書を書かせました。
それから数年後、日本とソ連の国交が正常化した事を受け、捕虜たちは日本に帰れることになり。日本に帰れた捕虜たちは、山本の家族に彼の最後の言葉を伝えました。
山本が家族に届けた遺書は全部で4通。そのどれもが心を揺さぶられるものでした。
その中でも、子どもたちに遺した遺書は2人の子どもを持つ自分にとっては最も共感しました。
「お前たちに会いたい」という一文は痛いほどよく分かります。
10年以上も離れた子どもたちはどれほど大きくなったことか。妻に迷惑をかけていないか。どんな事を考えて、どんな経験をして成長したのか。心の底から知りたかったかと思います。
最後に
映画「ラーゲリより、愛を込めて」は非常に心が揺さぶられました。
「感動モノの映画」なんて話ではなく、ボロボロと涙しました。
いい意味でも悪い意味でも、ものすごく心に響く作品なのでオススメできるかと言われたら悩みます。
ただ、間違いなく感動します。感動を味わいたい人は観てみてください。